裸のサルの目、ゴーン騒動と日本外交力の脆弱さ

保釈中の不法海外脱出を実行し、レバノンで自己弁護と日本の法制度批判を一方的に国際世論にアピールするゴーン被告に対する日本外交力のお粗末さには唖然とします。外交とは言葉による戦争であり、相手を説得する力が必要である(今回の場合は外国世論)という原則を全く理解していません。

日本の法制度をコケにするということは日本国そのものを罵倒することと同等です。

ゴーンの偏見に満ちた記者会見後、日本政府、マスコミ、専門家がそろって心配したのは国際世論の日本に対する評価でした。真夜中、早朝と2度にわたる法務大臣の遺憾表明、官房長官の遺憾表明は一体どこへ誰に対する情報発信なのか、私には日本国民へ向けての対応であり世界世論に対する外交策とはとても思えませんでした。

その内容はありきたりで日本語原稿の棒読みであり、形式的でとても国際世論に訴える

迫力はありません。せめて英語の同時通訳でもないと外国人には全く理解できません。

一方、記者会見はお粗末で身勝手、偏見に満ちたものであっても、派手な身振り手振りパフォーマンスと英語、フランス語での外国世論への影響力を意識したゴーンの情報発信力には日本外交はとても及びません。外交説得力とは物事の正悪ではなく言語の力によって相手をどのように納得させるか、つまりコミニケーションの力です

外交コミニケーション力不足は昔から日本外交の大きな欠陥です。その典型的失敗は対韓国外交の歴史です。相手の屁理屈や無理難題を無視するということは外交的には相手を言い分を容認するということ、あなたの言うことも一理あるなどの寛容性はあなたが正しい、私が悪いという意味です。

反日教育を義務化し反日思想を国の理念としている文政権は今も日本国旗にイチャモンをつけ、サッカーユニホームのデザインが帝国主義を連想させるとケチをつけ、放射能汚染の東北地方の食物は輸入禁止日本食物は危ないと東京オリンピックには自国の食物を持ち込むなどと好き勝手に国際世論に情報発信しています。慰安婦、徴用工

問題も長年の容認、黙認が問題を歪曲化し結果として日本の国際的評価を貶めています。

今回も日本の専門家がゴーンの言うことも一理ある、日本の検察制度は問題だなどと自分の非を認めるような発言をしていますが、これは外交的には日本の専門家が自国の非をみとめたとゴーンに悪用されかねません。謙遜や反省は美徳ではあっても外交的にはすべてマイナスとなります。現にウクライナ旅客機墜落についてもイランは事故説を決して譲らず、ミサイル攻撃でのアメリカ人死者数をイランは80人、アメリカ政府はゼロと主張しています。どれが正しいかではなく自国の弱みは絶対に認めない、これが言葉による戦争、外交力の現実です。

面倒でも相手の外交言論攻撃には徹底的に国際公用語英語で反論し世界に発信する、これが世界外交の常識です。謙遜や寛容な態度は日本流美徳ではあっても外交には何の意味もありません。