裸のサルの目、教師いじめの本質

人は残念ながら生まれながらにジギル(良識と博愛)とハイド(悪意と排斥)両方の性癖を持っています。通常はジギルの心がハイドを抑えています。これをモラル、道徳といいます。教師と言えば子供たちを教え、導く立場であり、彼らがハイドの心で行動することは誠に同情の余地のない、けしからぬことです。しかし教師や教育委員会を非難するばかりでは何の解決にもなりません。それではいじめの解決策はあるのか? 集団生活を営む人の行動は道徳観やモラルだけで制御できるものではありません。そのために人間社会は法律、規約など細かいルールで規制をし、違反者には罰則で対応しています。いじめの発生する多くの社会環境は人の良識に頼る閉鎖環境です。同類グループを形成する集団は自分の所属集団を保護、維持し、他者を排斥する場合が多々あります。

国や政治集団、会社や市町村などのトラブルの多くはルールのあいまいな原因から起こります。残念ですが人の社会運営はルールなしでは成り立ちません。人を教え導く教師のいじめはけしからんとの批判や感情論だけでは何の解決にもなりません。

いじめ解決は閉鎖社会での良識だけに頼らない厳しいルール設定と罰則が必要です

最大の問題は人間形成がなされていない、ルールや罰則が適用しにくい子供間のいじめ問題です。SNSなどにみられる無責任な中傷や誹謗は見るにつけ、人に痛みを教える教育ほど難しいものはないと思い知らされます。